がうす通信第109号(2011/6/18)


ドイツ 大手電力会社のわいろを阻止して

再生可能エネルギー網を築いた町

http://www.theecologist.org/News/news_analysis/875713/how_one_town_foiled_energy_giant_bribes_over_renewable_grid.html

Electricity pylon

【エコロジスト誌5月9日】

 

原子力発電からの離脱に向かおうとするドイツに、企業の圧力を見事に打ち負かし、町独自の脱原発システムを構築した小さな町がある。

 

ショウナウの町が自身の電力システムを設立したことで電力の巨大な独占体制は解体された。

今年の初め、アンジェラ・メルケル独首相は原子力発電を段階的に減らす計画を発表し、1980年代
以前のすべての原子力発電所を6月初旬まで一時閉鎖する命令を出した。

 ドイツの原発廃止計画の背景となったのは、反原発運動家たちの大規模な抗議行動と福島原発の
放射能漏れに対する恐怖感の高まりである。原子力から再生可能エネルギーへのシフトは、昨年、17
の原子力発電所を平均12年間、存続させる意思を発表したばかりのドイツ政府の完全な方向転換を
示している。

 メルケル首相の方向転換にもかかわらず、(多くの人がこれは政治的日和見主義と見なしているもの
の)、反原発の緑の党は選挙でぞくぞくと支持を集め、先日行われたドイツ南西部の地方選挙で勝利
を収めた。メルケル首相率いる保守派の
ドイツキリスト教民主同盟バーデン・ヴュルテンベルク州で
の地元支配を58年ぶりに失い、ドイツの反原子力勢力の増大を顕著にした。

ドイツ政府が住民間に高まる懸念に屈した一方で、景勝地として知られる黒い森(シュヴァルツヴァルト)
地方では、ひとつの町がエネルギー独占企業に反対し、「市民の反乱」という革命的ストーリーの末に、
ポスト原子力時代への移行をすでに成し遂げていた。

電力反乱軍

南ドイツのショウナウという町では、地元の住民たちがオーナーとなり、自ら運営しているエネルギー
会社が20年間以上、非核エネルギーを供給し続けている。

 1986年、ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故の後、ヨーロッパ中に放射能汚染の恐怖が渦巻
いていた時、ショウナウの住民たちは自分たちの手で問題に取り組もうと決意した。その年の暮、アース
ラ・スラデック氏が先導して「ペアレンツ・フォー・ア・ニュークリア・フリー・フューチャー(非原子力の未来
のための親たちの会)(RNFF)」が設立され、「放射能の危険から解放される再生可能エネルギー運動
が始まった。スラデック氏は最近、ゴールドマン環境賞を受賞した。
 「チェルノブイリ原発事故の後、
私たちは今こそ生活を転換する時期だと考えた。しかし、政府やエネルギー供給会社は変革を望まなか
った。そこで、私たちは自分たち自身でこれをやらなくてはならないと気づいた。とにかく、すぐに行動を
起こす必要があった」とスラデック氏は「エコロジスト」の取材に応えて言った。

 ドイツのメディアによって「電力反乱軍」と揶揄された市民運動グループは、まずエネルギー効率に注目
したが、すぐにエネルギー生産こそが重要な鍵であると気づき、再生可能エネルギーの取り組みに融資し
実践するための協同組合会社「ショウナウ電力サプライ」(EWS)を設立した。

 EWSは既存のエネルギー供給会社と協力し、町全体に張り巡らされた送電網に再生可能エネルギーを
供給することを望んだ。しかし、大手エネルギー供給会社(KWR)は協力する気がなく、再生可能エネルギ
ーを奨励するための固定価格買取制度の導入の試みも成功しなかった。

送電網を買う

1990年、KWRはショウナウへの電気供給の20年契約を更新しようとしていた。彼らは再生エネルギーを
望む住民たちの声に相変わらず耳をふさぎ、常にEWSの活動を妨げようとした。ショウナウの町の人々は圧
力に屈するどころか、KWRのその高圧的なやり方に、今度こそエネルギー供給を自分たちの手で管理しよ
うという思いを募らせたとスラデック氏は語った。

「つまり、われわれが地元の送電網を乗っ取ろうという考えに至ったのは、KWRによる日常的な妨害と嫌がら
せのお陰といえる」

 「その時、私たちはこう思った。ダメだ。私たちはKWRを受け入れることはできない。彼らは持てる権力を乱
用しまくっている。だから、住民がオーナーになり、エコロジカルな目的で運営される会社を作ろうと私たちは
考えた」

 しかし、事はそれほど簡単ではなかった。KWSが4年間で10万ドイツマルク(5万ドル)の特別金を町に支払
うと申し出た。KWRは地方自治体をわいろで買収しようとしたのだとスラデック氏は今も思っている。「それは
ショウナウのような小さな町にとって大変な額だった」とスラデック氏は述べた。

 財政力を行使するKWRに負けず、EWSは資金集めにとりかかった。そして、KWSに「彼らの独占の限界」
を思い知らせたかったシャウナウの住民たちからまたたく間に10万ドイツマルクの寄付が集まった。

 その後の募金状況と募金総額から判断して、EWSはついに送電網の契約を買うことを決断した。その金額は
400万ドイツマルク(200万ドル)と見積もっていた。しかし、EWSの買収をなんとか阻もうとあがくKWRは、送電
網の評価額をEWSの見積もりよりさらに470万ドイツマルクも引き上げて、870万ドイツマルク(440万ドル)という
驚くべき高値を提示した。

 そんな額は払えないというなら、裁判で闘えばいいとKWRは言ったが、われわれの目的は残りの人生を電力
会社との裁判に費やすことではなかった。われわれの望みはエネルギー環境を変えることだった」とスラデック氏
は言った。

 KWRによるこの好戦的な態度が、スラデック氏とEWSに火を付け、全国的な反対運動が始まった。EWSの苦
境がドイツのメディアによって広く報道されると、寄付が続々と集まった。最初の6週間から8週間で募金額は100万
ドイツマルクに達した。

 しかし、全国的に知れ渡ったことでEWSが得たのは、財政的支援だけではなかった。KWRが自分たちに批判
が集中していることを知って、スラデック氏と交渉を始めたのだ。

 「KWRの局長が電話をしてきて、あなた達のせいでKWRのイメージは悪くなっていると言った。それに対して
私はこう言った。KWRのイメージを壊しているのはわれわれではない。あなた達(KWR)自身ですよと」

 その後まもなく、スラデック氏の全国的な募金活動のさなかに、KWRは送電網の値をより妥当な580万ドイツマルク
に下げた。

勝利

1997年7月1日、EWSはついにショウナウの電力供給を解放し、送電網の権利を買うことができた。送電網の転換
はすぐに行われ、EWSは太陽光エネルギーの買い取りには6倍以上も払うという、再生可能エネルギーの助成制度
を始めた。

 2年後、EWSは周辺地域の人たちに石炭発電や非核発電の電気を売り始め、今やショウナウの住民たちによって
作られる太陽光電力のおかげで、全国の10万以上の家と会社に電気を供給している。

 現在、勝利を手にしたEWSは彼らのメッセージをより多くの人たちに広めることに忙しい。収益を使って、再生可能
の取り組みに融資し、他の自治体が自分たちの将来のエネルギー確保に向けた合同会社を設立するのを支援して
いる。

 「われわれは新しい送電網を買い続け、他の地方行政や自治体と一緒になって活動を続ける。われわれの勝利に
よって、他の自治体が自分たちでも会社を作り送電線が買えるのだと確信できるようになった」とスラデック氏は述べた。